私は松山の町が大好きで、行くと必ず道後温泉と
子規記念博物館に立ち寄る。博物館は道後温泉のすぐ近くにあり、いい感じで観光客を誘っている。観光地の真ん中に立地する博物館だが、観光気分で入ると館内で蒼然とさせられる。まさに俳句王国の中枢の聖なる神殿なのだ。展示の文学的水準が高度で驚かされるのである。生半可な俳句の知識ではついていけない。入館すると、すぐに愛媛県の名前の由来となった古事記の記述(伊予国は愛比売と謂ひ)と出会う。それから、額田王の歌(新田津に船乗りせむと月待てば)の紹介へと続く。伊予国は文の国で、武の国である隣の土佐国と際立った対照を示している。愛媛県は手弱女、高知県は益荒男。文弱の伊予人と武骨の土佐人。四国はこの二国で保っているところがあり、讃岐と阿波はサブセットの観がある。「
坂の上の雲」と「
竜馬がゆく」。司馬遼太郎の代表作である二作は、四国の二県を舞台にするものとなった。愛媛と高知、この二県は隣接しながら極端に個性が異なる。そして互いに一目を置き合っている。ライバルなのだ。まるで、日本と韓国が互いに無理やり国民文化の性格の相違性を際立たせているような、そんなところがある。松山があるから、日本の地方都市は格好いい存在でいられる。松山の存在感と価値は、日本の地方都市の中でも群を抜いて見事だ。私はそう確信している。その文学の都の松山が、
ノーベル文学賞の愛媛が、近代日本に武人の天才を献げて国を守った。その歴史の逆説と言うか、ドラマに、私は特別な感動を覚えさせられる。