鶴見俊輔は、2004年に「九条の会」を立ち上げたとき、明治以前からの日本人の知恵を自分たちの心の中に掘り起こすことによって、9条を守り支える心構えを作ることができるのだと言っている。そして具体的に、万葉集の防人の歌に注目している。言われてみれば、万葉集に編まれた防人の歌はどれも厭戦的な主題や情感のものばかりで、徴兵された男が家族との別れを嘆き悲しみ、望郷の念を切なく詠んだものばかりだ。戦争に対して前向きな、愛国意識が綴られた作品はほとんどない。
・ 唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして
・ 我が妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず
・ 我が妻も 画にかきとらむ 暇もが 旅行く我は 見つつ偲はむ
・ 防人に 立ちし朝けの 金門出に 手放れ惜しみ 泣きし児らはも
戦意発揚と戦勝祈願の作品で有名なのは、まさに支配階級の中心にいた額田王が、遠征途上の愛媛県で勇ましく詠み上げた一首だけだろうか。古の防人の歌があったから、与謝野晶子の反戦歌に繋がるのだ。