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2017-02-17 17:27:00
テーマ:
政治・経済
インド観光中、アテンド担当のガイド氏からカーストについて説明はなかった。移動中の車窓から途切れることのない、半スラム街と路上の物売りの人々とカーストとの関係について質問して答えを聞きたかったが、それは憚られることだった。インド憲法ではカーストによる差別を禁止していて、表面上は差別のない国作りをめざしている。だが、現実にはカースト制度が生きていて、結婚や就職のときに問題となり、インドはその社会的慣習を廃止していない。ヒンズー教そのものがカーストを認めていて、ヒンズー教徒として生きることは、カースト制度を肯定し、カーストに属し、カースト社会の中に身を置いて人生を送ることを意味する。ヨガと瞑想という表象に注目すれば、積極的なライフスタイルに映り、他宗教に対して寛大で排他性や独善性がなく、自然で宗教本来の姿に見えるヒンズー教だが、それはカーストを固定・再生産する元凶の観念システムでもある。インド国内でカーストが禁忌であり、公論の対象として喋々されるべきものでないことは、3日間の旅行でそれとなく察せられた。堀田善衛はインドに3か月も滞在し、私と同じくカーストに強い関心を持っていたに違いないが、岩波新書(青)には観察と報告が記されていない。現地で得る情報がなく、迂闊な議論ができなかったからだろう。