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2017-03-29 17:34:00
テーマ:
政治・経済
忖度という言葉が一人歩きして、森友学園の事件の認識を誤解に導いているように思えてならない。忖度という言葉の氾濫と馴れが、この事件の実像を歪め、われわれに真実ではない偽りの像を信じこませている。安倍晋三と親安倍のマスコミは、忖度という語を巧妙に操って問題を説明していて、そのことによって安倍晋三の関与や責任から世間の目を欺くことに成功している。忖度がキーワードになって事件の通念が形成されることで、疑獄の中心にいる安倍晋三の主体的契機が隠され、不正が曖昧にされ、何やら官僚たちが自然に動いて8億円の国有地値引きが実現したような構図にされている。この事件について忖度の言葉を使うのは危険だ。忖度の語の頻用と氾濫には注意を要する。まず、間違いのないように、忖度の語の定義を確認しよう。広辞苑には「他人の心中をおしはかること。推察」とある。果たして財務省の官僚は、安倍晋三の心中を推し量り、首相の安倍晋三が森友学園の開校を急いでいるに違いないから、その意に沿うよう行政を差配すべく、国有地の定期借地を認めたり、8億円の値引きによる売却を決定したのだろうか。この間の財務官僚の意思決定について、忖度による行為として理解するのが本当に正しいのだろうか。