この討論集会の問題点は、パネリストたちが最初から今回の捜査を「国策捜査ではない」と断じ、検察単独の暴走論の一点張りで片づけてしまったところにある。全員がその安直な結論で満足して思考停止に陥り、事件の内情を深く追求したり解析するジャーナリズムの視角を失っていた。例えば、先週の初めはあれほど騒いでいた二階俊博側への捜査が、2日後には急に動きが止まって情報が何も出なくなったのは何故なのか。この謎は、捜査を官邸が指揮していると仮定を置くことで容易に解を得られる。麻生首相が目論んだほどに世論調査で民主党の支持率が下がらず、また小沢一郎の代表辞任が確実な情勢にならず、ここで二階俊博に手を付けて閣僚辞任に追い込めば、内閣と自民党の支持率が急落し、せっかくのプロジェクトが台無しになるから、だから二階俊博への捜査を中断したのであり、与野党へのバランスをプリテンドする捜査の演出は、小沢一郎の辞任を確定させて目標を達した後でなければならなかったのである。相手の出方を窺いながら捜査を時々刻々と調整しているのだ。捜査が右往左往して朝令暮改的で異常に政治臭が強いのは、麻生首相(漆間巌)の指令で捜査を動かしているからである。