吉田茂の孫と鳩山一郎の孫が楽しそうに党首討論をしている。それをマスコミが嬉しそうに取り上げ、50年前の吉田茂と鳩山一郎の二人が映ったニュース映像と一緒にテレビで囃している。新聞も党首討論を評価し、時間不足だったからもっと頻繁にやれと尻を叩いている。ブログ左翼の論調もマスコミと同じで、鳩山代表に軍配が上がったと言って喜び騒いでいる。日頃はゴミ扱いしているマスコミと同じ目線で党首討論の中継に興奮している。私は蒼ざめて絶句する。カップ麺の値段も知らない世襲貴族の三代目が、二大政党の党首として国会で党首討論している身分制社会の図にも愕然とするが、それを21世紀の国民が嬉々として見守り、どちらが勝ったとか負けたとか言っている現実に戦慄を覚える。江戸時代の庶民の意識と同じではないか。国会での党首討論は、あの「政治改革」によって創設された制度だが、世襲三世を役者にして英国政治の物真似を演じるのが日本の民主主義を発展させる「政治改革」だったのか。にもかかわらず、日本国憲法の下の市民が拒絶や不快の声を上げないばかりか、浮薄な政治ショーに拍手喝采して大根役者の演技に夢中になっているとは。