格差と貧困の問題を考えている。格差の言葉が民主党のマニフェストから消えたのはなぜだろうか。「格差」や「格差社会」がマニフェストから消えても、新政権が「貧困の実態調査をする」という公約が入ればそれで問題ないのだろうか。私は、格差批判の言説が政党のマニフェストから消えた意味は大きいと思うが、その問題点を指摘する声は全く聞かないし、誰も注意を向けようとしない。その無関心自体が一つの大きな問題であるように思われる。仮説的に言えば、日本人は格差社会に馴れ始めている。格差社会への適応力を身につけ始めている。格差社会が構造的に固定化して循環し、それを否定したり原状に戻すことは困難だと観念し、言わば諦め始めている。格差社会を所与として前提し始めている。今回、社民党のマニフェストのキャッチコピーは「生活再建」で、公明党や民主党と差のないものになった。「格差」は二の次にされている。敢えて民主党や公明党と同じになる訴求上のリスクがありながら、「生活」を「格差」より上に上げたのはなぜだろう。「生活」の方がマイルドだからだ。「格差」を訴えると尖ったイメージになり、集票のパークが小さくなるマイナス効果を畏れたからである。