ブログを始めたときから、8月6日の広島の平和記念式典の記事を書いてきた。そして、この日は特にインターネットの素晴らしさを思わされる日である。それは、外国の通信社による広島の現地からの報道が多彩で豊かで、その報道に接して感動を得られるからである。日本の報道よりも外国の通信社の記事の方に真剣さを感じる。Japanのニュースと言えば、日頃は軽侮の視線や無関心の態度で取材対象を扱うことの多い米欧の報道機関が、広島の8月6日を取材した記事になると、謙虚さと緊張感を漂わせた聖地巡礼者になっている。日本のマスコミが発信した記事よりも外国のプレスの記事の方が多い。8月6日の広島の現地の情報は、日本のテレビや新聞よりも外国の通信社の方が詳しく生々しく伝えていて、平和記念公園の周辺で何が起きているかがわかる。日本の報道では、NHKが記念式典の中継を終えた8時45分頃で広島のニュースは幕となり、後は時々の首相が愚劣な政治目的で8月6日を利用する場となって、国民はそれを見せつけられて終わりだが、外国の通信社はそんなものは追わず、聖地である平和記念公園に一日中踏みとどまり、そこで見たものを世界に配信しているのである。広島の8月6日は、その意味で国際的なジャーナリズムの焦点の舞台で、世界中が注目する特別な場となっている。例えば、嘗てのモスクワの11月7日の赤の広場と同じように。そのことに気づいていたのは、日本では筑紫哲也だけだった。筑紫哲也は本当に国際的なジャーナリストだった。