重量挙げの選手が腰椎を損傷するのと同じような具合に、無理に重い負荷を心にかけすぎると、耐性の限度を超えてメンタルヘルスを害するリスクが生じる。2年半前、悲しい
事件が次々と起き、無視できず
記事に表現していたとき、その危険を直感した。一家無理心中の悲惨な事件に精神を集中し、記事に対象化する試みをしていると、疲労と圧迫で心の芯が潰れる不安に襲われる。そのため、本能的に防衛する行動をとるようになり、この種の問題に関心を寄せないようになった。けれども、例えば検索エンジンのニュースのサイトを開き、「
無理心中」のキーワードでエンジンを回すと、実際には毎日同じような事件が全国で頻発している事実を知る。減っていない。一つ一つの事件が凄惨で、直視すると気が重くなる中身を伴っている。今、それらは2年前のようにはテレビで取り上げられない。戦争で戦場に駆り出された兵士は、最初は戦友の死に直面して恐怖で発狂しそうになるが、次第に転がる死体に慣れ、何も感じなくなると言われている。『
ブラザーフッド』の映画が、その真実をよく見せていた。どう考えても、15年前の日本は、これほど無理心中が日常的に横溢する国ではなかった。この国が「戦場」の状態にあり、われわれの神経が麻痺していて、麻痺させるか、無視するかで、何とか「平和」を錯覚して、日常を生きる精神の均衡を維持している。