日比谷公園で「
特別展 ダヴィンチ - モナリザ25の秘密」が開催されている。大噴水の南側にある第二花壇に「ダ・ヴィンチ・ミュージアム」のパビリオンが特設され、広い平面の館内を使ってダ・ヴィンチの芸術と科学技術を網羅的かつ立体的に紹介している。まさにダ・ヴィンチの博物館の出現で、人がダ・ヴィンチの天才を知る上で最高の機会が提供された空間だ。万能の天才ダ・ヴィンチについて、われわれが断片的に知っているものが、ここに一堂に集められ詳しくプレゼンテーションされていて、館内を歩み進むほどに、この人物の底知れぬ天才に圧倒され、凡人の想像の及ばぬ奇跡の頭脳に絶句することになる。まさに近代欧米文明はこの人物に拠っていて、ダ・ヴィンチの万能と英知への畏敬と崇拝が、そのまま欧米近代の普遍性や優越性を認める意識と繋がるところとなっている。館内を歩きながら、そして寒い外に出て、しばし鬱々と考えるのだ。アジアにはこれに匹敵する人物はいたのだろうかと。嘆息しつつ思いが及ぶのは、例の銭ゲバが人からふんだくったカネでダ・ヴィンチの手稿をコレクションした一件で、新自由主義とダ・ヴィンチという思想的問題である。新自由主義という問題が身近に纏わりつくと、ダ・ヴィンチとわれわれとは素直に幸福な関係にならず、どうも途中で屈折する心理で萎えてしまう。そして私の場合、脱構築主義への批判という問題もあるため、ダ・ヴィンチは余計に解釈に手こずる厄介で重たい存在なのだ。