菅直人の訪米日程が、当初予定されていた3月から6月に変わった。そのことがマスコミを通じて
正式発表されている。実は、新年冒頭の菅直人の演説だったと思うが、訪米について「3月」と言わず、「今年前半」という表現を使っていて、少し引っかかり、記事で取り上げようかと迷ったことがあった。それまで、昨年末まで、ずっと訪米の予定は3月で、そこで日米安保の再定義が打ち出され、条約の全面改定が合意されるだろうとする報道が続いていた。日米安保条約の条文改定は、1960年以来51年ぶりのこととなる。極東条項が撤廃され、適用範囲が全地球大に無限拡大されると共に、中国を仮想敵とする米日韓豪のマルチな軍事同盟に変質させる意図の改定だろうと目されていた。マスコミの説明では、米国側から3月の日程を5月に遅らせる打診があり、それを日本側がさらに6月に延期したとある。どういう舞台裏だったのだろう。この間、つまり年末から年始にかけて、米国は胡錦濤訪米でずっと中国との熾烈な折衝に没頭していた。そこでの外交過程で、東アジアの安保についての取引が図られ、4カ国軍事同盟の構想が練り直しになった可能性がある。もう一つは、米国が菅直人の余命を見限って、訪米させる相手は新顔にすると決定を下した可能性がある。米国は、日本の首相は1年で取り替えるというコードを厳守するのだろう。いずれにせよ、歴史的な日米安保改定は菅直人の業績ではなくなった。