旧時代の遺物のように左右から叩かれている終身雇用だが、年をとると、それほど悪いシステムではないということを実感する。若い頃は、私もこの制度に不満を感じる一人だった。人は40歳を過ぎると体力が衰え、新しい領域の知識を手早く覚えるのが苦手になる。柔軟性や機敏性や暗記力がなくなり、一個の労働力商品としてのパフォーマンスを落とす。しかし、人生は続くのであり、経験で培った知恵を生かし、生産に貢献する道を探らなければならない。そして、若い人を育てることができる。経験と技能を持たずに職場に入った若者は、年長者に教えられて仕事ができる人間に変わるのである。ときどき、湯浅誠や宮本太郞などが、一生のうちで会社を何度も変わるのが当然の社会にすべきだと言い、終身雇用の解体を促進せよという政策主張を展開している。オランダや北欧のモデルを理想化し、行政が整備した職業訓練こそが労働者のプラットフォームで、企業は気儘に自由に渡り歩くのが理想だというような説を吹聴している。本当にそうだろうか。宮本太郞は、これから大学を辞めて転職し、民間企業の社員として働くことができるだろうか。湯浅誠は、第二のセーフティネットでCADや溶接をマスターし、非正規で稼ぐ生き方ができるだろうか。おそらく、二人とも、そのような人生は想像もしたことがないはずだ。自分にできないことを、他人ができると思うのは間違いだ。