本日(5/24)発売の週刊新潮の
広告を見ると、「反橋下市長キャンペーンを準備する『年越し派遣村村長』」という記事の見出しが出ている。中身はまだ読んでないが、これは湯浅誠のことだろう。どこかでそういう予告に接した記憶があるし、何より、湯浅誠の現在の関心は橋下徹にあり、文藝春秋誌上で床屋政談を披露したりもしていた。本人の意思は頷ける。具体的にどういうキャンペーンが立案されているかは不明だが、直感的に、結果を悲観視する気分を禁じ得ない。もし、それが山口二郎あたりと結びついた言論戦の企画なら、一般の支持を惹き寄せることなく不首尾に終わる予感がする。そしてそのことは、私の中のシミュレーション・ゲームにおいて、湯浅誠という「橋下徹に勝てる最後のタマ」を失い、武器庫が空になることを意味する。私は
Twitterで、「湯浅誠が左派のシンボルだったら、橋下徹に勝てただろう」と書いたのだけれど、その想定は(都知事選のような)選挙戦をイメージしたもので、乾坤一擲の政治勝負を仕掛ければという意味である。マスコミや出版世界での批判とか、あるいは集会やデモとかの方法で、果たして効果的なダメージを与えられるのだろうか。評論家の立場からの橋下批判には限界がある。リスクを賭けて”STOP THE HASHIMOTO"の選挙に立つという勇気を示さないかぎり、campaign(戦闘)で勝利を収めるのは難しいだろう。