生活保護を受けている家庭の子どもたちは、この週明けの登校がどれだけ苦痛だったことだろう。思うのは、この一連の騒動をテレビで見ながら、実際に生活保護の支給を受けている人々が、どれほど肩身の狭い惨めな思いをしただろうかということだ。生活保護の
世帯数は2000年代から急速に増大し、2000年には75万世帯だったのが2005年には104万世帯、そして現在は147万世帯へと膨らんでいる。つまり、半分以上がこの10年間に生活保護を申請する苦界に滑落した人々だ。高齢者の一部は別として、圧倒的多数の者がこの将来の境遇を予想していなかったはずで、不運な事故の結果としか思いようのない辛い身上だろう。破綻の前には普通の生活があったのだ。政府が
水際作戦の強化を始めたのが小泉時代だから、彼らは決して簡単に受給者になったとは思えない。ほとんどが悔しく悲しい思いを積み重ね、生きるため受給に辿り着いた人ばかりだ。手続きで尊厳を傷つけられ、屈辱に耐え忍んできた人たちばかりだ。今回の河本問題は、生活保護受給者への差別を扇動した許し難い社会事件だと言える。受給者たちに「不正受給者」の疑惑と不信を押しつけた虐待事件だ。こんな問題は、マスコミは無神経に取り上げるべきではないし、まして政治家が摘発するような問題でもなかった。これは嫌がらせであり、ナチスのクリスタル・ナハトだ。