小熊英二の『民主と愛国』の中で、60年安保のデモについて次のように書かれている件がある。「5月19日以降、運動は一気に高揚を迎えた。国会周辺は連日のデモで埋まり、5月20日から一月間の動員数は、それ以前の1年余の動員数を上回った。6月4日には戦後最大の交通ストが行われ、各地の集会・デモの参加者は国民会議の発表では560万人に達した。(略)実際に当時の国会周辺は、各地から集まった各種のグループが掲げるさまざまなプラカードや旗で埋まり、『他声部の複雑なフーガ』の様相を呈していた。そこには学生や労組員のデモだけでなく、劇団員や作家の隊列、大学教授の請願団、ノレンを掲げた商店主のデモ隊、さらには『ムシロ旗をもった農民、ウチワ太鼓を鳴らす仏教徒、子づれの女たち』などが集まっていた。社会学者の日高六郎は、安保闘争の特徴として『参加者の多様さ』を挙げた。(略)6月3日、デモのあとの街頭を取材したラジオ局員は、『都会のよそよそしい<�個人>がいない。20、30人の市民たちが、まったく自然に、目撃した事件について話し合い、討論し合っている』と報じている。(略)6月3日、日本橋でデパート労組が主催した安保研究会には、主催者の予想をこえて、若い女性社員たちが多く集まった。そして彼女たちの会話は、安保問題から『疎開児童としてなめた苦しみ、未亡人になった母の苦しみ』など、『自然に戦争体験につながって』いったという」(P315-318)。