昨日(1/10)、安倍晋三が復興予算の増額を表明し、「5年間で19兆円」の枠を見直す意向が示されたという報道があった。昨日の
記事で、アベノミクスの財政出動と財源の問題を論じ、マスコミが「3本の矢」の一つと持て囃して手放しで宣伝するだけで、大型補正の財源の中身をまともに検証しない点を批判したが、今回もその視角から論を加える必要がある。忘れていることを思い出さないといけない。復興予算の規模を5年間で19兆円と決めたこと、そのうち10.5兆円を25年間分の所得税増税で賄うと決めたこと等々は、決して民主党政権が単独で決定した政策ではなかった。民自公3党で協議して合意した結果であり、金額規模も、財源も、費目用途も、すべて3党で纏めた内容である。この復興予算が23年度第3次補正予算として
閣議決定されたのは、震災から半年以上経った2011年10月だった。なぜこれほど遅れたかというと、被災地を切り捨てたい動機の官僚によるサボタージュも大きいが、主な要因は民自公の協議が長引いたからだ。長引いた理由は財源だった。2011年の5月から7月頃にかけて、NHKの日曜討論で何をやっていたかというと、岡田克也と石原伸晃が登場して、毎週毎週、子ども手当ての廃止に応じろ応じないという論議を繰り返していた。復興予算の財源論を、自民党は09年マニフェストの4K攻撃(子ども手当・高校無償・高速道路・戸別保障)にスリ換え、バラマキ4Kを止めて財源を捻出しろと迫っていたのだ。