辺見庸の新著『国家、人間あるいは狂気についてのノート』を読んだ。ほとんどが一度読んだことのある文章で、『生首』や『眼の海』に所収されていた詩も多く再録されている。重複している。鵜飼哲との対談が載っていて、これは初めて見るものだった。そして、対談を含めて、内容のかなりの部分を中国関係の論考が占めていて、尖閣問題についての辺見庸の認識が示されている。読みながら、正直なところ、違和感を感じるところが多かった。尖閣問題の見方として、中国政治論として正確と思えない認識や主張が随所にある。現在の右翼化の政治状況を考え、また辺見庸の影響力を考えると、無視して放置するわけにはいかない。対談の中の発言を引用しよう。「結論から言うと、僕が完膚なきまでに太刀打ちできないと思ったのは中国だけです。つまり、国家概念というものが、中国という事実と、我々が考えるネーションというあらまほしきイメージとが比較にならないほど違うのです。(略)僕はあの国だけとは喧嘩しようとは思いません。事実のレベルが違う。中国は日本に対して戦争を構えていると思うんですよ。いわば戦争という破滅を前提とする発想があるのです。その発想と、日本が掲げる『何年か遡れば領土の正統性はこちらにあるんだ』という理屈、このレベルの違いには恐ろしいものがある。彼らにとっては正統性なんて問題ではない。(略)つまり、滅亡を組み込んでいるということです」。(P.168-169)