週末、「STAP細胞」の問題を考えながら、あらためて4/4の山中伸弥の
国会答弁に意味深い内実があることを思い知らされた。山中伸弥はこう言っている。「僕たちは(ノートを)出さない人は、『不正をしていると見なします』と言明しています」。この発言は、婉曲的ながら、小保方晴子の「STAP細胞」研究が十分に信用できないものだということを示唆しつつ、指導者の立場からの教育論に変換し、理系の学生や研究者たちに自然科学の正規の方法を諭したものだ。この話を聞いたとき、私だけでなく誰もがそうだろうが、後者の意味にアクセントが置かれていると感じた。科学教育の一般論が説かれ、この事件の教訓として念押しされていると受け取った。だが、笹井芳樹の
会見を聞き、2013年のNature論文について内情を知り及んでくると、山中伸弥のこの言葉が、単なる科学教育の訓範を垂れたものではなく、もっと鋭く深い含意があったことが察せられてくる。われわれは、小保方晴子の実験ノートの問題について、それをかなり善意に解釈してしまっていたようだ。本人が未熟で、記録の要領や定則をよく心得ず、実験そのものも粗雑だったため、結果的にノートに中味がなく散漫になったのだろうと、そう安易に理解していた。しかし、どうやらそれは誤解なのだ。山中伸弥の言葉のとおり、小保方晴子は不正を意識し、不正を隠蔽するために故意にノートを杜撰な態様にしていたのである。オーディットの目を眩ますため。