県庁前から美栄橋までは目と鼻の近さで、こんな短い距離にタクシーを使うのは貴族の贅沢に違いない。が、当日はキャスター付きのバッグを携えていて、あれをガラガラと引き摺って歩くのは不具合に感じた。那覇はとにかく内外からの観光客で満杯で、ホテルも連泊が難しいのである。大きな荷物を抱えて宿舎を移動しなくてはいけない。それと、前回の
記事で紹介したような、タクシーの運転手との会話で辺野古を話題にする機会を得て、県民一般の感触を手探りすることができるかもしれないと、そういう期待と動機が蠢いていたことも否めない。「辺野古に座り込みに」と答えた私に、運転手はとっさに「これはどうもご苦労さまです」と応じて返した。我が意を得たり。3日間の沖縄滞在で、唯一、心と心が通じ合う電流を感じた瞬間だった。県庁前から美栄橋まではあっと言う間に着いてしまう。お互い、時間の短さを意識しながら、コンパクトな呼吸と会話で締めて、辺野古について必要十分なコミュニケーションをした。コンマ1秒のプロトコルのシェイクハンド。満足だった。こういう感覚が、座り込みの現場や往復のバスの中ではなかったのだ。「身内」のプロトコルが支配する空間では、それに準拠できない者は、イスラム教徒の群れの中に紛れ込んだキリスト教徒のように、勝手の悪さに面食らって疎外感を覚えてしまう。