昨日(6/23)、「慰霊の日」の摩文仁の丘の全戦没者追悼式で、安倍晋三の挨拶に対して式参列者が「帰れ」と罵声を浴びせる
事件が起きた。Tw上にすぐにそれに対する反応が流れ始め、経緯を知ることになったが、厳粛な式典の場で無礼で非常識だという旨の非難の声ばかりで、リベラル系を含めて擁護する意見が全く見当たらなかった。それが意外で不満だったので、私なりの常識論を上げてみたら、反響が多かったのか検索で上位に上がる結果になった。右翼の言論工作というのは常にこの手法で、辺野古で抵抗運動をしている者たちへの攻撃もそうだが、過激だとか非常識というイメージを塗りつけて卑しめ、常識のあるこちら側(一般社会)との間に壁を築いて異端化しようとする。隔絶することで無力化を図る。したがって、そうした悪質な言論工作を見つけたときは、すぐに有効な反論を上げて切り返すことが必要で、右翼の主張がネット言論の流れを支配する前に、対抗する説得力で一撃することが大事なのだ。この種の「場をわきまえろ」という常識論に日本人はめっぽう弱く、すんなりと武装解除してしまう。だが、よく考えれば、沖縄県民の常識とは何なのか。あの場で、腐った独善と驕慢の化身のような安倍晋三が、聞き苦しい舌足らずの発音で並べ立てるところの、沖縄を二重三重に侮辱する欺瞞の虚弁の前に、静粛に頭を垂れ、神妙に聴き入って、政府とNHKの思惑どおりに式典を完結させることが沖縄県民の常識なのか。