シングルファーザーの育児ノート
第5章 第五回(昭和四十八年頃~)
表向きは、私は育児と仕事、それも青少年の指導という仕事を両立させた、立派な父親だった。
夜の二時間ほどの儀式の他は、私は時に両親を頼り、育児書を読み、雄太の心身の健康を保ちながら、健やかに育つように精一杯努力した。
雄太が四歳になる年、幼稚園に入れようという段階になって、私は私自身と雄太がずっと行ってきた一種の「スイッチの切り替え」を、より徹底する必要が出てきた。
他人である保母さんに甘えたり遊んでもらったり、同年代の子と時には砂まみれになって遊ぶ。雄太の世界が拡がるということは、それだけ私達二人だけの秘め事を秘め事として、雄太が守り、一日二時間ほどの異常な空間と体験を外に露呈させることがないように、十分に注意する必要があった。
幸い、雄太は利発な子供だった。私が「あのこと」といえば何を指しているか理解できたし、「お父さんと雄太だけの秘密だ。他の誰にも、話すのもするのもいけない」といえば、それだけで強固な約束ができあがった。理屈は必要なかった。
私が柔道場で、ある種絶対的な上下関係を持った指導者と教え子、という姿を見せ続けて育てたせいか、雄太には常に、私のいうことは絶対で、逆らうという選択肢はないという感覚で育っていたようだった。普通の子供が、二、三歳の頃に見せるという第一次反抗期、何でも不服をいいむずかったりわがままをいうという、そんな時期が、雄太にはほとんど見られなかったと思う。
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NIGHT
LOUNGE5060