僕は今なら、あの日が僕とおじさんにとってどれほど大きな意味を持っていたか、わかると思う。おじさんはきっと、最初から知っていた。初めて僕の手をにぎった、あの時から。これから先のことは、僕はおじさんと同じぐらい、わかると思う。未来のことはだれにも予想がつかない? それは「普通」の人の場合。病気で死にそうな人は、いろんなことから、正確に、どんな風にっていうところまでわからなくても、「近いうちにこの病気で死ぬ」っていうことがわかって、それがどれだけこわくてつらいか、今の僕には何となくわかる気がするんだ。今の病気の苦しさの上に、明日はもっとつらいかもしれないと感じて、じっさいどんどん悪くなって、死ぬ日に近づいていく。でも、本当に死ぬ時は、そういうこわさやつらさの終わる時だ。
あの日はただ気持ちよさと幸せがあった。僕にはなかったはずのものをおじさんはくれた。でもそれは今の僕のつらさと苦しさの始まりで、おじさんにはそれが最初からわかっていた。僕とおじさんにはどんな終わりが来るのか、死ぬ病気とは違う僕には正確にはわからない。でもそれがどんどん近づいていること、今僕はとてもつらくて苦しいはずなのに、そんな全てが終わることが悲しいこと、それが悲しい僕自身が、僕にはとてもこわく、おじさんよりもこわく感じられること、それだけのことが僕には今わかっていた。