SITIGMA Side-Koichi Vol.1
第2章 1
ちゃんと返事もしないぼくの手を、おじさんはにぎって、引っぱる。無理やりっていうほど、力は入っていないのに、ぼくの体はかっ手に動いて、おじさんの後についていってしまった。ずっと手をにぎられたまま、ぼくはエレベーターに乗った。部屋までの間も、「学校の勉強は、何が好き?」とかきかれて、ぼくは何も答えられなかった。どきどきした。はずかしがる理由なんかないはずなのに、何だかはずかしかった。「全部きらいなのかな?」とか言って、おじさんは笑った。ぼくはますますはずかしくなって、うつ向いて、どうしてかわからないけど、ただにぎられていた手でおじさんの手を、強くにぎり返してしまった。そんなの初めてで、ぼくはあわてて手の力をゆるめた。おじさんはぼくがからかわれておこったと思ったみたいで、「ごめんごめん。本当は全部とく意なんだろう? 幸一君かしこそうだものな」とか言う。ぼくは強く首をふった。おじさんは笑って、幸一君かわいいなあ、って言った。ぼくははずかしいを通りこして、わけがわからなくなった。そんなことを言われたのは、生まれて初めてだったし、言われるはずのない言葉だったから。ぼくは手に一ぱい汗をかいて、顔が熱くなった。
おじさんの部屋のドアは、となりのぼくの部屋と、当たり前だけど全く同じで、部屋の中もたぶん、ほとんど同じのはずだ。おじさんは一人ぐらしらしい。おくさんは早くに死んで、子どももできなかったんだって。一人だったら、かなり広いと思う。大学の先生して、本を書いて、ほんやくもしているおじさんは、きっとお金もちなんだと思う。でもおくさん死んじゃって、ずっと一人だったんなら、さびしいんじゃないかな、仕事も家で一人でしてたら、かなしい気もちになる時、ないかな、って、ぼくはちょっと思った。でもおじさんは偉い人で、大学で生徒を教えて、新聞に意見を書く。きっとたくさんお友だちもいて、そんけいしている人も、多いはずだ。ぼくと似たような気もちになんかなるはずがない。さびしいとかかなしいとか思っても、ぼくのそれとは全ぜんちがうはずだと思う。
7
NIGHT
LOUNGE5060