サイド イフェクツ-薬の鎖-
第1章 DATA1 播野医師
「は~ぁ。杉浦さん家は立て続けにペットも含め四人もねぇ。あっ、いや、ペットは動物だから二匹か…」
なんてジョークにもならぬ独り言を、時にぼそぼそと呟きながら、シミの所々に付いた黄色く薄汚れた肌を時々左手で軽く掻きむしる。そして、その窶れた表情を自ら厭うように眼をつぶり、頭を左右に小刻みに動かす。
「はぁ……」直ぐさま顔を俯かせて、暫しの間、空っぽの眼でキーボードを見つめる。
既に精神科医になって二十九年の月日が流れる。毛先の整った頭には雪に覆われ始めた山の頂のように、白く染まってきていた。これまでいったい、幾人もの患者を眼にしてきたのであろう。播野は、頬杖をつき獣のように黄ばんで穢れた眼を閉じ、病院勤務の時代から独立して現在に至っている今日までを振り返る。
(思えば楽なようでいて、全然楽でなかったな。この仕事は…………)
“楽なようでいて楽ではなかった”
この今となっては責めようもないどうしようもない思いが、播野の脳(あたま)をズキズキと徐に釘を打たれていくかのように刺すのであった。
(まだ病院にいた時はね、自分も若かったし。陰で未熟な私を支えてくれる医師(ドクター)も傍にいたが………。十八年前に独立してからは日々の業務は自身できちんと律していくしかなくなった。まぁ当たり前の事だが………。何もかも、メンタル的な面でももちろん…………)
診察室の椅子にうなだれたように腰掛けて身じろぎしないまま播野は、両手で顔を覆い隠し、若かかりし頃の追憶が、現実とのギャップを引き立てていた。
“トントン”
「先生、お先に失礼します」
「……あ、あぁ。っていうか、お、お前帰る時には此処をあからさまに覗くなって言ってるだろ。内線で呼び出してくれ、頼むから」
机に肘をついて、白髪頭をいじりながら両手で顔を覆い隠していた彼は、我に帰り、肉付きはあるがどこか血色の良くない顔つきをした受付の女に面倒臭さそうに注意を促した。
「えっ、だって先生いくら呼び出ししても何も反応なかったので…帰りの挨拶くらいしていかなきゃと思って、つい………」
長身の蒼白な顔つきをした受付の女は、自分が過失を犯して申し訳ないように気弱な声で弁解した。
「もういい。わかった、出てっていいよ。お疲れさん」
“バッタァン” 受付の女は力無く診察室のドアを閉めると、細長い階段を足早に駆け降りていった。
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