岩山自治会は都会から離れた山間部で、急斜面の谷間に殆ど家が建っている集落である。そこに安来家である勝茂が5人家族で住んでいた。勝茂は3人兄弟の長男として生まれた。32歳で独身、内気で物静かで人と接するのが苦手だった。趣味はこれといって無く、たまにラジコンで遊んだり、DVD・BDなどで洋画の映画を観たりしていた。職業はIT関係会社に勤め、管理業務だがパートだった。しかし、人間関係がうまくいかず退社してしまった。勝茂は失業手続きを済ませしばらくの間、再就職活動をしていた。家族は父[守]と母[さき]、二男[たく]と三男[ちん]も同居していた。父の性格は内気で交流もそれほどなく、職業は自営業だった。農業は決まった収入がなく、農機具代だけでも運営管理していくだけでもうまくいかなければ赤字になるのでそれほど儲からなかった。病気も抱えており、ガンにおかされていた。以前から入退院を繰り返ししていた。母のほうは衣類関係の会社に勤めていたが業績不振で廃業になり専業主婦と農業の手伝いをしている。二男である[たく]は勉強が嫌いで中学卒業後は製造業を中心に転々としてようやく電子部品製造の会社に落ち着き、そこで頑張っていた。三男である[ちん]は知的障害で中学は卒業式にも参加せず、父と農業をしていた。ハウス栽培を中心にホウレン草や白菜、小松菜、ピーマンなど作り、出荷時には父と三男であるちんが一生懸命作業していた。そして、出荷し終えるとひと段落したせいか、一通りの喜びがあふれていた。それが自営業なのだろうか、会社勤めとは違うところなのである。
そんなある日、父の病状が悪化して検査をした結果、病状がかなり進行しており入院して手術が必要となった。急きょ入院の手続きをして、日にちも決まった。母のほうは運転免許を持っておらず、また、三男[ちん]も知的障害で運転できず、勝茂が病院へ車で連れて行くしかなかった。実家から車で30分かかるので、直ぐそこというわけにはいかなかった。手術の日には付き添いが要るので家族の人が最低一人は泊りでいなければいけなかった。交代で付き添っていた。その間、勝茂は再就職活動はとりあえずやめていた。手術は胆嚢と膵臓の摘出で出血がひどく、輸血の量も多かったらしく、時間も8時間に及ぶ大手術だった。待っている間は不安で一体、どうなるんだと家族や親戚も心配でならなかった。終わった後は主治医から説明を受け、とりあえず手術は成功したことを聞いて安心した。しかし、大量に輸血したので合併症がおこる可能性があることも説明を受けた。手術後も経過観察が必要で家族の交代での付添いが続き、勝茂も精神的に疲れが溜まっていた。
父はしばらく闘病生活が続くので、自治会の付き合いは父の代わりに勝茂がやることになった。ある程度、父の回復を待ってから常会の流れなどを聞き、おおよそ把握してから今度の会議に出席する心構えでいた。